
松井常松
■アマチュア時代、同級生の氷室京介らと共にデスペナルティというバンドに在籍し、1979年に同バンドでEastWestコンテストに入賞。
その後、織田哲郎のバンド「織田哲郎 & 9th IMAGE」にベーシストとして参加。1980年に氷室京介と布袋寅泰がバンドを結成しようとしていることを知り合流。BOOWYのメンバーとして活動する。
1987年にBOOWYが解散した後はスタジオ・ミュージシャンやライブツアーのサポートをした後、1stアルバム『よろこびのうた』を発表。以降、マイペースな活動を続けている。
BOOWY解散後も氷室京介や高橋まことのアルバムレコーディングに参加したり布袋寅泰のツアーにもベーシストとして参加したりと元メンバー同士での交流が一番多い。
BOOWY時代、表情を一切変えず、直立不動で「ダウンピッキングの8分弾き」が代名詞となっているが、実はスラップなども巧みにプレイするテクニシャンである。
BOOWY時代に結婚しており、娘と息子がいる。メンバーの中で最も早く父親になった。娘の誕生を当時のインタビューで嬉しそうに語っている。
最近は、「ベースだと一人で活動できないが、ギターだと一人でも演奏ができと、アコースティックギターでの演奏が多い。